寛永5年(1628)〜元禄13年(1700)

簡単な紹介

日本中に喧伝された大衆作家

ロケ候補地

阿見町・土浦市・多磨霊園・早稲田大学

ストーリー

茨城県稲敷郡朝日村(現阿見町)生まれ。1908年、土浦中学校(現茨城県立土浦第一高等学校)へ進み、1919年、早稲田大学英文科卒業、読売新聞社入社、社会部記者となるが同年12月に退社、文筆活動に入る。小説・短歌・戯曲などを発表するほか、ゴーリキー全集の翻訳も行う。1923年、結婚を機に東京市役所労務課翻訳係に就職するが、8ヵ月程で退職、再び作家生活に入り、『赤い鳥』などに童話を発表した。昭和時代に入ると、私娼を描いた「天国の記録」で有名となり、「ルンペン小説」の作家となる。一方、農村の窮状を描いた農民小説を発表。太平洋戦争中は大政翼賛会の下で村の報告書を書くなどし、戦後はほぼ沈黙、1953年、『中学生』を出版したにとどまった。

主な関連人物

志賀直哉、小林多喜二

主な文献

阿見町が生んだ作家「下村千秋の世界」その研究と検証(平成24年)